障害受容について


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今日はまじめな話。

先日、自閉症の娘さんを持つ知り合いのお母さんで、支援学校の先生になるために大学院で勉強されている方から、障害受容についてアンケート依頼があってお話ししました。障害受容とはどういうことだと思いますか?という質問に選択肢が10個くらいあって、私は「ありのままの子を認めること」を選びました。アンケートを行ったお母さんは「子の障害を他人に話せるようになること」だそうです。

数年前出会ったある詩?のことを思い出しました。

2016年に起きたやまゆり園事件の3ヶ月後に、ある自閉症の子供をもつお父さんがFacebookに書き込んだ詩がまたたくまに拡散されました。

私は、思うのです。
長男が、もし障害をもっていなければ。
あなたはもっと、普通の生活を送れていたかもしれないと。
私は、考えてしまうのです。
長男が、もし障害をもっていなければ。
私たちはもっと楽に暮らしていけたかもしれないと。
何度も夢を見ました。
「お父さん、朝だよ、起きてよ」
長男が私を揺り起こしに来るのです。
「ほら、障害なんてなかったろ。心配しすぎなんだよ」
夢の中で、私は妻に話しかけます。
そして目が覚めると、いつもの通りの朝なのです。
言葉のしゃべれない長男が、騒いでいます。
何と言っているのか、私には分かりません。
ああ。またこんな夢を見てしまった。ああ。ごめんね。
幼い次男は、「お兄ちゃんはしゃべれないんだよ」と言います。
いずれ「お前の兄ちゃんは馬鹿だ」と言われ、泣くんだろう。
想像すると、私は朝食が喉を通らなくなります。
そんな朝を何度も過ごして、突然気が付いたのです。
弟よ、お前は人にいじめられるかもしれないが、人をいじめる人にはならないだろう。
生まれた時から、障害のある兄ちゃんがいた。
お前の人格は、この兄ちゃんがいた環境で形作られたのだ。
お前は優しい、いい男に育つだろう。
それから、私ははたと気付いたのです。
あなたが生まれたことで、私たち夫婦は悩み考え、それまでとは違う人生を生きてきた。
親である私たちでさえ、あなたが生まれなかったら、今の私たちではないのだね。
ああ、息子よ。
誰もが、健常で生きることはできない。
誰かが、障害を持って生きていかなければならない。
なぜ、今まで気づかなかったのだろう。
私の周りにだって、生まれる前に息絶えた子が、いたはずだ。
生まれた時から重い障害のある子が、いたはずだ。
交通事故に遭って、車いすで暮らす小学生が、雷に遭って、寝たきりになった中学生が、おかしなワクチン注射を受け、普通に暮らせなくなった高校生が、嘱望されていたのに突然の病に倒れた大人が、実は私の周りには、いたはずだ。
私は、運よく生きてきただけだった。それは、誰かが背負ってくれたからだったのだ。
息子よ。君は、弟の代わりに、同級生の代わりに、私の代わりに、障害を持って生まれてきた。
老いて寝たきりになる人は、たくさんいる。
事故で、唐突に人生を終わる人もいる。
人生の最後は誰も動けなくなる。
誰もが、次第に障害を負いながら生きていくのだね。
息子よ。
あなたが指し示していたのは、私自身のことだった。
息子よ。
そのままで、いい。
それで、うちの子。
それが、うちの子。
あなたが生まれてきてくれてよかった。
私はそう思っている。
父より

『障害を持つ息子へ 息子よ。そのままで、いい。』より

最近、たまたまAmazonのおすすめに出てきた本が、このお父さんの本だったので手元に置いておきたくて購入しました。

『障害を持つ息子へ 息子よ。そのままで、いい。』 神戸金史 / 内山登紀夫

本の中の、高校生の弟さんとお母さんの文章にとても胸が熱くなりました。言葉に表現しきれないいろんな葛藤があったのは痛いほどわかります。

母である私は、金祐が生まれてきたことに意味があるのか、社会の役に立つ人間なのかと自問自答することはなくなりました。私自身、同じことを問われれば答えに詰まることに気付いたからです。何を思い上がっていたのだろうと

『障害を持つ息子へ 息子よ。そのままで、いい。』より

私は、ちいたいの障害がわかったときは、精神的ショックが大きかったです。ウソだ😫遅いだけでしょ?就学まで普通になるよね?ね?先生!?ね?って感じです。

現実を受け入れないといけないと理解してからは、生まれてきたことに意味がないとか社会の役にたたないとか怖いとか世間に思われるのかな、家族に恥ずかしい存在と思われるのかなと思うと悲しくて悲しくて仕方ないという感じでした。幼稚園の入園を断られたり、、、

こんなふうに感じるのは自分がそう思ってたから。やっぱり「うちなる優生思想」(本の中でお母さんが言っていた表現)は持っていたくせに、自分の子供がその対象になったらそんなふうに思わないでよーっ😭て。

障害のある子をもつことがなければ、ずっと思い上がったままだったかもしれません。ちいたいはいろんなことを気づかせてくれました。

多くの当事者や親はなんとか障害受容して前向きに生きていますが、社会が受容してくれなくて悲しい思いをすることも多い気がします。やまゆり園事件の犯人は、大切な人が障害者になったり病気になったり年老いて動けなくなったら、やっぱりいない方がいいと思うのか、、そこを想像できればもっと寛容で優しい世の中になるんじゃないかなぁと思います。

障害者に限らずみんな大変な人生を歩んでいると思うので、自分のことでいっぱいかもしれないけれど、当事者にならないとなかなか考える余裕ないかもしれないけれど、人生のどこかで気づいてくれたらなと思います。

親として何ができるか、どう子供を育てたらいいか、いつも頭から離れませんが、時々読み返して自問自答したいと思いました。

コメント

  1. ぞろり より:

    お父さんの詩 読んでて目頭が熱くなったよ

    先日 お隣さんが亡くなったの
    私と同い年くらいのパパさん 幼稚園の息子がいるのに突然亡くなったの

    私たちは運良く生きてるだけなんだね
    障害受容はいまだに自分ができてるかどうか分からないけれど、生まれて来てくれてありがとうと それは本当に思う

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